1994年1月21日早朝。その痛ましい事故は起こった。
明治通りと京成押上線が交差する曳舟駅北側の踏切。
その日、青年(当時28歳)はスキーに行こうと友人と待合わせをしていた。
チンチンチンと遮断機が下りてくる。
ガシャーン!
鈍い音の方向に振り向くと、バイクに乗った男性が踏切内で転倒し、必死に起き上がろうとしていた。
とっさに、青年は男性を助けようと、踏切に飛び込んだ。
しかし、不運にも踏切に進入してきた列車に二人ともはねられ、死亡してしまった。
自らの危険を顧みず、人命救助に尽力した青年の行動は、多くの人に感動を与え、警視総監賞、都知事顕彰が授与された。
この周辺の踏切では、青年の事故の前にも、1年間で5人の命が失われ、怪我をする人も少なくなかった。
石井は、危険性の高い踏切として、事件が起こる以前から、京成押上線の立体化を訴え続けていた。事件の前年、石井の強い訴えに、鈴木都知事(当時)から「国に働きかけ、今後とも立体化に向けて努力する」との答弁を引き出したばかりであった。
石井は、青年の四十九日法要に参列し、青年の行動に思いをいたした。
そして、遺影の前で誓った。
「再び同じ過ちを繰り返さないためにも、早急に立体化を実現してみせる」
石井は走った。
「立体化事業を促進するために、区、都、鉄道事業者による協議会の設置を!」
「一日も早く立体化することが、青年に応える道ではないか!」
そして、都が動いた。
「協議会の設置や地元区の話し合いを1994年までに行いたい」
翌年、明治通りと京成押上線の立体交差事業が、新規事業として採択された。
その後、建設大臣(当時)の事業認可もおり、現在千葉方面へ行く下り線の仮線工事が施工され、本格的な工事体制に入っている。
順調に工事が進めば、2010年には念願の立体化が完成する。
石井は、高架に伴う騒音に配慮し、線路の下に防音シートを採用して沿線住民の環境にも万全を期した。また、国から立体化事業の要件として、単に線路を立体化するだけでなく、木造老朽家屋の密集する駅周辺地域の防災都市づくりが提案され、曳舟駅前の西地区の再開発事業も付随して進めることとなった。
石井は思った。
踏切の立体化が実現した暁には、青年の尊い犠牲の上にこの事業が完成したことを後世に残す意味で、記念のプレートを橋脚に埋め込んであげたい、と。
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